【国・チーム概要】
人口:約1070万人 国土面積:約78,800平方キロメートル 首都:プラハ 公用語:チェコ語
チェコ共和国は、中央ヨーロッパのほぼ中心に位置する、海に面していない内陸国です
その地形は「盆地」のような形をしており、周囲を山脈に囲まれているのが大きな特徴です
ヨーロッパの地理的中心に近い場所に位置しています
北・北東: ポーランド 西・北西: ドイツ 南: オーストリア 南東: スロバキア と接しています
国土は大きく分けて、西部のボヘミア、東部のモラヴィア、そして北東部の一部のシレジアという3つの歴史的地域で構成されています
国境沿いに中級規模の山脈が連なっており、外部からの天然の要塞のような形をしています
山脈の内側は、ボヘミア盆地やモラヴィア丘陵といった、なだらかな丘や平原が広がっています
内陸国ですが、ここから流れ出す川が周辺諸国の海へと繋がっています
モラヴァ川は、東部を流れ、ドナウ川に合流して黒海へと注ぎます
ヴルタヴァ川(モルダウ川)は、チェコ最長の川で、首都プラハを流れます
ラベ川(エルベ川)は、北海へと流れ込み、ドイツとの水上輸送の要となっています
チェコは、この「守られた盆地」のような地形のおかげで、戦火を免れた中世の美しい街並みが数多く残っています
面積は、約7.9万キロ平方メートルで、北海道とほぼ同じくらいの広さです
チェコは、冬のスポーツと夏のスポーツの両方が非常に盛んな国で、特にアイスホッケーとサッカーは「二大国民的スポーツ」として圧倒的な人気を誇ります
アイスホッケー(Ice Hockey)は、最も人気があり、国民の誇りとも言えるスポーツです
オリンピックや世界選手権で何度も金メダルを獲得しており、カナダやスウェーデンと並ぶ強豪国です
伝説的なジャロミール・ヤーガー選手(50代を過ぎても現役を続けた鉄人)をはじめ、多くの選手が世界最高峰のリーグNHLで活躍しています
国内リーグのエクストラリガは、非常にレベルが高く、スタジアムは常に熱狂的なファンで埋め尽くされます
アイスホッケーと並び、国内で最も競技人口が多く人気のあるスポーツです。
サッカーは、2006年大会以来、20年ぶりとなるワールドカップ本大会(2026年北米大会)への出場を決めました
チェコスロバキア時代には、ワールドカップで準優勝2回の好成績を残しています
国内リーグでは、スパルタ・プラハやスラヴィア・プラハといったクラブが、欧州チャンピオンズリーグなどの国際舞台で活躍しています
ワールドカップへは今回含め5大会ぶり10回目の出場となります
FIFAランキング:44位(2025/11/19付)

【欧州予選】
欧州予選では、グループLに属し、クロアチアに次ぐ2位となり、最終予選で勝ち抜き本大会出場権を獲得しました
| 順位 | チーム | 勝 | 分 | 負 | 得点 | 失点 | 勝点 |
| 1 | クロアチア | 7 | 1 | 0 | 26 | 4 | 22 |
| 2 | チェコ | 5 | 1 | 2 | 18 | 8 | 16 |
| 3 | フェロー諸島 | 4 | 0 | 4 | 11 | 9 | 12 |
| 4 | モンテネグロ | 3 | 0 | 5 | 8 | 17 | 9 |
| 5 | ジブラルタル | 0 | 0 | 8 | 3 | 28 | 0 |
| HRV | CZE | FRO | NME | GIB | |
| クロアチア | - | 5-1 0-0 | 1-0 3-1 | 4-0 3-2 | 7-0 3-0 |
| チェコ | 1-5 0-0 | - | 2-1 1-2 | 2-0 2-0 | 4-0 6-0 |
| フェロー諸島 | 0-1 1-3 | 1-2 2-1 | - | 0-1 4-0 | 2-1 1-0 |
| モンテネグロ | 0-4 2-3 | 0-2 0-2 | 1-0 0-4 | - | 3-1 2-1 |
| ジブラルタル | 0-7 0-3 | 0-4 0-6 | 1-2 0-1 | 1-3 1-2 | - |
【欧州最終予選パスD】
2026年3月26日 デンマーク 4-0 北マケドニア
2026年3月26日 チェコ 2(PK4)-2(PK3) アイルランド
2026年3月31日 チェコ2(PK3)-2(PK1) デンマーク
【主力選手】
チェコ代表チーム(ナロドゥニ・ティムNárodní tým)は、プレミアリーグやブンデスリーガで中心選手として活躍する実力者が揃っていて、伝統的な「高さ」と「ハードワーク」を兼ね備えたチームです
トマーシュ・ソーチェク Tomáš Souček (イングランド:ウェストハム) MF 1995/2/27生 192/86
チームの絶対的キャプテン 圧倒的なスタミナでピッチの広範囲をカバーし、高さを活かして得点源にもなる
パトリック・シック Patrik Schick (ドイツ:バイエル・レバークーゼン) FW 1996/1/24生 191/82
チェコのエースストライカー 長身ながら非常にテクニカルで、どの位置からでもゴールを狙える決定力を持つ
アダム・フロジェク Adam Hložek (ドイツ:ホッフェンハイム) FW 2002/7/25生 188/86
若くして代表の主力となった万能型アタッカー 強いドリブルとシュート精度を誇る
ウラジミール・ツォウファル Vladimír Coufal (イングランド:ウェストハム) DF 1992/8/22生 179/76
豊富な運動量と執拗なマークが持ち味のベテラン 右サイドの攻防を支える職人肌の選手
ラディスラフ・クレイチ Ladislav Krejčí (スペイン:ジローナ) DF 1999/4/20生 191/86
守備陣の新リーダー 強固な守備はもちろん、ビルドアップ能力に優れ、PKやセットプレーでの得点能力もある
マチェイ・コヴァージュ Matěj Kovář (ドイツ:バイエル・レバークーゼン) GK 2000/5/17生 196/88
ペトル・チェフの再来と期待される若き守護神 GKとして足元の技術も高く、最後方から攻撃の起点となる
【チーム特徴・注目度・展望】
チェコは欧州プレーオフ決勝でデンマークを破り、2006年大会以来となる悲願の出場権を手にしました
本戦ではグループAに入ることが決定しており、メキシコ(開催国)、韓国、南アフリカと対戦します
まずはこのグループを勝ち抜き、独立後最高成績である「ベスト16以上」を目指すことが大きな目標となります
プレーオフ準決勝のアイルランド戦では2点のビハインドを跳ね返し、決勝のデンマーク戦でも延長戦までもつれ込む死闘を制しました 追い込まれてからの粘り強さと、PK戦での勝負強さ(守護神コヴァージュの活躍)は現在のチーム最大の武器です
パトリック・シック(191cm)やトマーシュ・ソーチェク(192cm)など、攻守の要に長身選手が揃っており、セットプレーは世界トップクラスの破壊力があり、格上相手でも一発で仕留める怖さを持っています
2025年末に就任したミロスラフ・コウベク監督のもと、非常に組織化された守備ブロックを形成し、個々のハードワークをベースにした「負けないサッカー」が徹底されています
攻撃がエースのシックや、キャプテンのソーチェクによるセットプレーに依存しがちで、流れの中からのクリエイティブな崩しに欠ける場面があり、引いた相手を崩すのに苦労する傾向があります
パトリック・シックは世界屈指のFWですが、キャリアを通じて怪我が多いのが懸念点で、彼が不在になった際、代役となるストライカーとの実力差が大きく、得点力が大幅に落ちるリスクを抱えています
ソーチェクやツォウファルといった30代のベテランが依然としてチームの軸で、アダム・フロジェクら若手の成長は見られますが、大会期間中の過密日程において、ベテラン勢のコンディション維持が鍵となります
開催国メキシコと同組という厳しいグループですが、現在の勢いがあれば「20年ぶりの旋風」を巻き起こす可能性も十分にあります
【備考】
ヤン・レツル(Jan Letzel, 1880–1925)は、明治末期から大正にかけて日本で活躍したチェコ人の建築家です
広島の「原爆ドーム(旧広島県物産陳列館)」を設計した人物として、日本とチェコの絆を象徴する存在となっています レツルは、現在のチェコ(当時はオーストリア=ハンガリー帝国)のナーホトに生まれ、プラハ美術専門学校で、近代チェコ建築の父と呼ばれるヤン・コチェラに師事しました
エジプトでの活動を経て、1907年(明治40年)に来日し東京に事務所を構え、当時の日本には珍しかった最新の欧州スタイル(セセッション様式など)を導入しました
第一次世界大戦の勃発により、母国が日本の敵国(オーストリア側)となったため仕事が激減
さらに1923年の関東大震災で自身の設計した建物の多くを失い、失意のうちに帰国、2年後にプラハで45歳の若さで病没しました
レツルの作品は、レンガや石、鉄骨、強化コンクリートを組み合わせた、堅牢かつ華やかなデザインが特徴です
広島県物産陳列館(現・原爆ドーム)は、1915年竣工され、当時の広島では珍しい大胆なヨーロッパ風建築で、川面に映る銅ドームの姿は広島名所として愛されました
爆心地に極めて近かったものの、爆風がほぼ真上から襲ったため、中心部が奇跡的に崩壊を免れました
松島パークホテルは、1913年、日本三景の一つである松島に建てられた高級ホテルで、十角形のドームを持つ美しい建物でしたが、1969年に火災で焼失してしまいました
聖心女子学院校舎(正門のみ現存)は、東京・白金に建てられた壮麗な校舎で、関東大震災で倒壊しましたが、現在も残る正門はレツルの設計によるものです
実は、戦後しばらくの間、原爆ドームの設計者が誰であるかは忘れ去られていました
しかし、1960年代に日本人研究者やチェコ人ジャーナリストの調査によって「ヤン・レツル」という名前が再び光を浴びることとなりました
現在、彼の故郷であるチェコのナーホトと広島市は、彼が結んだ縁を大切にしており、平和への祈りと共にその名前が語り継がれています
彼が設計した建物は、大震災や戦争、火災でその多くが失われてしまいましたが、廃墟として残った「原爆ドーム」が、皮肉にも彼が日本に残した最も力強いメッセージとして世界遺産となり、今も私たちに語りかけています